クリスチャンへのよくある7つの誤解

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クリスチャンって何者?

 

クリスチャンってなんなの?

アーメンが口癖の人?胸の上で十字をきってる人?

今回はよくある誤解について取り上げてみましょう!

 

 

誰もが白黒のペンギン衣装を着ている・・・わけではない

 
修道士や修道女の衣装と言えばわかりやすいでしょうか?

あの衣装はクリスチャンの一部分の文化です。

キリスト教がローマ帝国の国教として認められた時から、西洋ではキリスト教と文化が融合しました。

そこから文化として発展したものはたくさんあります。

十字をきったり、牧師さんに罪の告白を聞いてもらったり(告解)、イースターに卵を食べたり、グレゴリア聖歌を歌ったり・・・

ドラキュラに十字架が効いたり、13日の金曜日にジェイソンが出てきたり、手のひらの聖痕がありがたいものだったり、聖マリヤに祈ったり、クリスマスプレゼントもらったり、なんてのは、文化のみが発展しすぎて聖書とは直接関係がない例です。

クリスチャンと呼ばれる人達は、およそ2000年前から全時代の非常に広範囲に存在したので、ものすごく多様な文化があるわけです。

全員が十字をきったり、特定の恰好をしていたり、賛美歌を歌っていたりするわけではありません。文化はその人それぞれです。

 

 

空想上の人物を信じている・・・わけではない

 
多くの方がイエス・キリストを伝説の人物だと考えていますが、この人物の存在にははっきり学術的根拠があります。

 

詳しく知りたい方はこちらの本をどうぞ。読み物としてもとても面白いです。

 

このイエスが世界にもたらした影響は、絶大なものがあります。

ユダヤという一地方に生まれ、30年ほどしか生きていない人が、B.C(Before Christ)とA.D(Anno Domini*イエスが君臨する時代)とまで言われちゃうんです!

2000年後の極東に住むわたしたちにも影響があり、人権、平等の概念や、一夫一妻制、社会的弱者への配慮、日本国憲法などにもそれが表れています。

とりあえず、世界を変えてしまったすごい人が存在したってことは、誰もが認めざるを得ない事実であります。

 

クリスチャンはこのイエスという人物を自らの救い主として信じている人たちなんです。

いろんな人たちがクリスチャンだとなぜか自称しますが、もともとの意味は「クリスチャン=キリストを信じる人たち」です。

イエス以外を神とするのは、厳密にいうと全く違う宗教なんですね。

 

「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、

いのちなのです。わたしを通してでなければ、

だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」

ヨハネの福音書14:6

 

 

聖書はイエスが書いたと信じている・・・わけではない

 
聖書は1600年かけて、40人もの著者によって書かれた66巻の書物です。

イエス・キリストが書いたわけではありません。

 

と言いますか、聖書の中にイエス・キリストを指し示す予言がたくさん出てきて、イエスも当時の反発する人達に「聖書を読んだたらわたしが神の子ってわかるでしょ?」って言ってます。

さて、他にも外伝とか言われる、伝統的に読まれてきた聖書に準ずる書物はありますが、これは3世紀頃に当時の指導者達が集まって「聖書ではない」と結論を下しています。

ですからキリスト教は、人間が書いて、人間が定めた書物を聖典としています。

 

しかし、そこに神の介入があった、いや神が人間を用いて書かれたとクリスチャンは信じているんですね。

実際、聖書を読み進めていくと、多数の時代の異なる著者が書いたとは到底思えないほどの一貫性と、神秘的な説得力に満ちています。

「これは~~のバイブルで、必読です!」なんてセリフをよく聞きますが、そう思ってるならまず本物のバイブル読みましょう。

 

イエスは聖書を書きませんでした。

聖書はイエスが生まれる遥か以前から書かれ始め、イエスを指し示し、イエスの死後100年ほどで完成した書物です。

 

 

聖書を本気で信じていない・・・わけではない

 
実は本気で信じています。

ただ全て理解しているわけではありません。

未だにクリスチャンでも、聖書理解が足りない故に「神様が進化を使って世界を創造された」なんて言う進化論の人もいますし、「別にイエス以外でも信じてたら天国行ける」と言う人もいます。

全ての人に深い聖書知識があるわけでもなく、わたしも含めて全てのクリスチャンが勉強中です。

 

ただ聖書を本気で信じる決心をしなければ、クリスチャンではありません。

ちょっと文章を間引いたり、付け加えたりしても、それは別の信仰です。「自分の考えを信じる教」とでも言いましょうか・・・。

クリスチャンは聖書を本気で信じています。

 

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

第二テモテへの手紙 3:16

 

 

清廉潔白・・・なわけではない

 

残念ながらひどいことする人もいます・・・。

クリスチャンと言えど、神様に導かれて変えられていっている最中なので、間違いを犯します。

人格的にどんどん成長して聖められていきますが、完成するのは天国にいった時です。

だからそれまでは。その人の成長具合に応じて、いろいろ失敗をしてしまうこともあります。

そんな時はごめんなさいです。

 

またその人が本当にクリスチャンなのかどうかも確かめなければいけません。

よく耳にする原理主義者という言葉は、ニュースなどで悪いイメージがありますが、実際にはクリスチャンは全員「原理主義者」です。

聖書を丸ごと信じ、イエスを救い主として信じているので、根本回帰して原理を信じています。

世俗の生活を忌み嫌ったり、自分の考えが唯一正しいと思ったり、場合によっては人を殺してもいいなどと考える人のことを指すのではありません。

十字軍や魔女裁判なども、本来の聖書からはかけはなれた例です。

クリスチャンを騙り、ひどいことをしている人もたくさんいるのです。

 

 

クリスチャンになってもメリットはない・・・わけではない

 

実はメリットに満ち溢れています。

大前提として、罪の赦し永遠の命が得られます。これは確かめられないので、信じなければいけませんが、本当だとしたらすごいことではないですか!?

福音のは柱は、この「罪の赦し」と「永遠の命」にありますが、他にもたくさんメリットはあります。

 

1.全ての問題が解決する

本当に神様は全ての問題を解決してくれます。時間はかかる時がありますが、それに伴ってわたしたちの心まで変えてもらえます。

 

2.平安が与えられる

深い平安が与えられます。落ち着きます。安らぎます。あまりに現実が厳しくて、慌てふためいてしまう時もたくさんありますが、根底にはこの平安があり、どんな時も乗り越えられます。

 

3.人生のつじつまが合う

どんなに理不尽な経験も辛い思い出も、全てつじつまを合わせてくれます。意味のないものが意味あるものになり、人生での出来事全てが益になります。

 

4.幸せになる

幸せになれます。お金も名声も権力も人を幸せにしないのは周知の事実ですが、イエスを信じると、場合によっては時間がかかりますが、必ず幸せになれます。

 

5.人格者になれる

“愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制”が少しずつ自分の中で育っていきます。

決して人に見せるための上っ面のものでなく、本当に内面から変えてもらえます。

 

メリット、たくさんあると思いませんか?

わかりやすくお金や名誉、才能を与えてくれる場合もありますが、それは全ての人には当てはまりません。

ご利益宗教とその部分で一線を画しますが、クリスチャンになるメリットはたくさんあるんです!

 

 

クリスチャンの生き方はわたしに関係ない・・・わけではない

 

実は関係があるんです。

 

聖書はイスラエルという国を中心に、世界の始まりからその終わりまでを詳細に描いています。

極東の日本という国に生まれたわたしたちも、意識していないだけで長い長い歴史のなかに組み込まれています。

聖書に書かれている通り、ローマ軍がイスラエルを滅ぼしてから1900年の歳月を経て、現代にイスラエルが復興しました。

この後、聖書を文字通りに読めば、エルサレムに神殿が建てられます。(現状では全く不可能なことです。)

世界の歴史と聖書を照らし合わせて読んでいく時に、戦慄を覚えます。

 

また聖書の神は、わたしたち個人に出会ってくださる神です。

自分の人生に何か足りないと思われるなら、クリスチャンになってみましょう!

 

「イエス様、もしあなたが本当におられるなら、わたしに出会ってください。」

心の中でこうやって祈ってみてください。聖書の神は真実な方ですから、しかるべき時に必ず出会ってくれます。

 

 

最後に

 

わたし自身がクリスチャンなので、よく誤解されることがあるのですが、少しでも疑問に答えることができたならば嬉しいです。

日本では宗教と言うと、怪しいイメージを持たれがちなのですが、本気で突っ込んで調べていると案外偽物はすぐにわかります。

布教活動が欲望や恐怖に根差しているならば、それはやはり真実ではありません。

しかし、もしその人が心から信じていて、その人生に結果が表れているならば、「怪しい!」という先入観を取り払って話を聞いてみるのも一つです。

 

 

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