ギタリストとして

 

わたしは幼少期から音楽家の両親のもとで育ち、16歳からクラシックギターを本格的に始め、20歳でイタリアに渡り、S.Grondonaの元で研鑽を積みました。

しかし、日本に帰国して演奏家としての活動を始めようと思った矢先に、フォーカル・ジストニアという指が自由に動かせなくなる病気にかかり、プロギタリストとしての道をいったん諦めます。

その後、フェルデンクライス・メソッドを含む、様々な方面から試行錯誤の末、ジストニアを完全に克服できました。

現在、ギタリストとしてのテクニックは(特に技術的な面は)弾けなくなる前よりもはるかに向上していますし、これからさらに先に進めるという確信があります。

 

そのような紆余曲折から得た色々な体験的知識をサイトの記事にしていますが、以下には特に得られた精神的な変化について書きます。

 

ジストニアの完治

 

「ジストニア」とは”中枢神経系の障害による不随意で持続的な筋収縮にかかわる運動障害の総称”のことで、簡単に言えば自分の体が勝手に動いてしまう障害です。

いったんなってしまうと治る確率は8%未満とも言われていて、演奏家にとってはほとんど希望のない死活問題です。

わたしは2010年6月頃から自覚症状があらわれ、それから公の舞台で演奏を再開するまでに2年かかりました。

完治したこともありがたいですが、それ以上にこの経験から得られたことが途方もなく大きかったです!

 

こうでなければならない!?

 

症状がでるまでのわたしは、一日に8時間練習することもあり、それがプロギタリストとしての当前の水準だと思っていました。

また演奏家にとって才能こそが全てで、クオリティーがない演奏は無価値と真剣に考えていました。

わたしは音楽家の家庭に生まれたので、小さいころからクラシック音楽に慣れ親しんでいましたが、クラシックギターを本格的に始めたのは16歳の時。技術的におくれている分を才能と努力で取り返せると信じて、日々練習に励んでいたのです。

「こうあるべき」という演奏家のイメージを明確にもっていましたし、その水準に届かない演奏家は自分であろうが他人であろうが認めませんでした。

 

結果こそ全て

 

人に褒められたり、認められるのはとても良いことです。しかし、それが演奏家としてのアイデンティティーになってしまうとどうでしょう?

わたしは幸運にも”世界的に認められ、有名な先生方”に習うことができ、またその先生方に励ましてもらい、自分の才能をある程度信じて勉強を続けることができました。

しかし、点数で競う場になると結果がでないのです。

試験で満点が出せない。コンクールで最後まで残れない。賞が取れない。褒めてはくれるけど、どこか減点される。

欠点がなければ減点されないのですから、とにかく目に見える結果欲しさに、自分の欠点をあばき出していく作業を続けました。

 

ジストニア発症

 

そうすると、小指がうまく曲がらない症状が最初に出始めました。その時はジストニアとは思いもよらなかったのですが、だんだん人差し指が硬直しだし、最後はギターを持っただけで人差し指が反り返り、中指が硬直するようになったのです。

「これだけ結果を求めて、一生懸命努力してるのになぜ!?」と憤慨し、それは「才能と努力が足りない」からだと思いました。

「指が動かせない才能と努力が足りないギタリスト」

そんなギタリストの演奏を聴きたいでしょうか??

自分の小さな世界のまま、論理的に考えました。結論は「ギターをやめる」でした。

 

世界が広がる

 

ギターを横において、ようやく自分の演奏家としての内面に心をむけることができました。

それまでは自分の才能を信じてひたすら努力しかしてなかったので、そんな暇がなかったのです。

そうすると重大な事実に気付きました。

「人と比べて勝つことを追及すれば、最後は必ず負ける」

これはきれいごとのように聞こえますが、本当のことです!

「そうは言っても勝ってなんぼでしょ?」

そんなあなたは必ず最後には負けます。劣等感を抱えて、自分が負かしてきた人を見下しながら生きていくしかありません。

 

自分の道を追求する

 

わたしが演奏家を目指したきっかけは、ホロヴィッツやリパッティ、シゲティ、オイストラフ、セゴビア、イエペスなどの名演奏家が奏でる音楽に深く感動したからです。

そこに彼らの名声は関係ありませんでした。彼らの音楽にふれて、単純にわたしは一生をこれを追求したいと思ったんです。

そして、向かう先があるならばそこに向かえば良いだけで、それ以外のことを考えて自分を否定してしまうのは全く意味がありません。

あの人の方が指が回る、あの人の方が有名、あの人の方が才能がある、あの人の方が背が高い、あの人の方がかっこいい、あの人の方が・・・

いいえ、わたしという人間はひとりだけで、わたしの道を歩む人はわたししかいません。

 

ジストニアが治る

 

そんな風に自分の考え方が変わり、自暴自棄になっていた時期が終わり、リハビリを少しずつ開始しました。

最初はピアノを弾くだけ、そのあと、日常生活で動きを試し、最後にギターをもってちょっとずつ。

フェルデンクライス・メソッドで学んで得たものを最大限に活用して、リハビリに工夫を加えていきました。

二年が過ぎた頃には、完治した指でギターを弾き、新しい価値観で音楽を演奏する、全く別人のわたしがいたのです。

現在は、さらに勉強を続け、身体への理解を深めたので、指にはもう障害がでることはありませんが、考え方は否定的な意見などにたまに揺らいでしまうことがあります。

でもそうすると自分の中のセンサーが働いて、はっきりわたしに言ってくれます。

「これは嘘だ!ほんものでない!」

 

わたしが演奏する意味

 

価値があるものには、付加価値のものと、それ自体で価値があるものがあります。目的を必要とするものと、しないもの。

わたしにとって音楽の美を追求することは幸せなんです。幸せに目的はありません。

アリストテレスっていうおじさんが言ってる通りですね!

“Happiness is the meaning and the purpose of life, the whole aim and end of human existence” –  Nicomachean Ethics

わたしというギタリストはもともとデザインされた形があり、それが上手く機能すればするほど幸せを感じるのです。

キャリアや名声、収入も良いものですが、この幸せには勝てません。

そしてその幸せをおすそわけして、どんどん広げていくことがわたしの演奏する意味なんだと思います。

自分が演奏することで、人も自分も幸せになれる。それがわたしの究極的な目標です。