It is a sad truth that the verbal method of communication cannot be more than a clue. […]

We communicate by talking about anything we have heard or read, seen or felt, thought or dreamed.

Talking is nothing but communicating what has already come into being, though only an instant before.

悲しいことに、言葉でのコミュニケーションはほんの糸口にしかなりません。

わたしたちは相手が聞いたことがあることや読んだことがあるもの、見たり、感じたり、考えたり夢見たりしたことのあるものは、言葉で伝えられます。

言葉は、たとえたった一瞬前だったとしても、聞き手の中に既に存在しているものしか表せません。

引用著作 : The Case of Nora – p42

Enokuからの解説

フェルデンクライス・メソッドのグループレッスンに伴う難しさについてモーシェの一言です。

感覚的な体験は言葉ではなかなか表せません。

「肩甲骨が動いていますか?」と聞かれて、「なるほど!」という人と「なんのことやら?」という人がいます。

しかし言葉ではそれ以上の説明ができません。

体験がなければ、言葉は聞き手にとって暗号にすぎません。

これはフェルデンクライス・メソッドのみならず、ほとんどあらゆる分野で同じことが言えます。

ですから、本質が伝わるには相手にも感覚的な体験が必要です。

そして感覚は主観的なもので、外から何かの基準ではかることはできません。

フェルデンクライス・メソッドが取り扱うのは、まさにこの「言葉にできない主観的な感覚」なのです。

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